それぞれ九州の大名だった3人のキリシタン大名について、それぞれが治めていた地域と合わせて学んでいきます。
1.きっかけ・情報源
九州の県を学ぶ中で、何回かキリシタン大名の名前やゆかりの名所を見て、この機会にしっかりとその名前と彼らが治めていた地域を頭に入れたいと思いました。対象は、大村純忠、有馬晴信、大友宗麟の3大名です。
今日の本:『詳説日本史図録』(山川出版社)
↓受験ではお世話になりました。馴染みのある写真や図が満載です。キリシタン大名についてもしっかりと地図入りで紹介されています。
2.学んだこと
①大友宗麟(義鎮)とは?
大友宗麟(おおともそうりん)は、豊後府内(豊後府内)に生まれました。現在の大分市です。成人してから義鎮(よししげ)。剃髪してからは宗麟(そうりん)と名乗ったらしいです。
1551年にザビエルと会談。その後、南蛮貿易で経済力も蓄え、最盛期には九州北部の6ヶ国(豊後・豊前・築後・筑前・肥後・肥前)を治めていたそうです。
②有馬晴信とは?
有馬晴信(ありまはるのぶ)は、今の長崎県の島原半島、島原藩を治めていた大名です。
③大村純忠とは?
大村純忠(おおむらすみただ)は、日本最初のキリシタン大名Christian feudal lordです。島原の有馬家から、今の長崎県大村市を治めていた大村家へ養子に出されました。また、1580年に長崎をイエズス会に寄進したことでも有名です。
3.コメント
3人のキリシタン大名が特に有名な理由は、1582年に天正遣欧使節(てんしょうけんおうしせつ)と呼ばれる少年使節をローマ教皇Popeのもとに派遣したことです。これを勧めたのが宣教師missonaryヴァリニャーニ。『日本史』で有名なルイス・フロイスと仲の悪かったあのヴァリニャーニです。
なお、伊達政宗が支倉常長を派遣したのは、慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)です。
↓長崎Webマガジン。長崎に教会が多い理由を探る旅。
↓フロイスとヴァリニャーニの関係についてはこちら。
insearchofjapan.hatenablog.com
4.その他(全国通訳案内士試験問題:キリシタン大名関連2問)
歴史2017-37:室町、大分、キリスト教、人物
2017年(平成29年)の全国通訳案内士筆記試験「日本歴史(問題番号37)」で、「大友宗麟がザビエルを豊後府内に招いたこと」の理解が必要な問題がでていました。
歴史2015-34:室町、安土桃山、鹿児島、長崎、キリスト教、人物
2015年(平成27年)の全国通訳案内士筆記試験「日本歴史(問題番号34)」で、「豊臣秀吉が1587年にバテレン追放令を出したきっかけは、長崎がイエズス会に寄進され教会領になったことであること」の理解が必要な問題がでていました。
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