伊藤博文・井上馨・井上勝・山尾庸三・遠藤謹介の海外渡航経験やその後の人生について学べます。アーネストサトウも!
1.きっかけ・情報源
昨日取り上げた小岩井農場(岩手県)でまた思い出しました。長州ファイブ!
先日買っていたこの本「長州ファイブ」を昨日、一気に読み終えました。記憶も新しいうちにこの本で学んだことを復習していきます。
↓小岩井農場についてはこちらから。
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今日の本:『長州ファイブ-サムライたちの倫敦(ロンドン)』
2.学んだこと
本の概要紹介
長州ファイブの5人の生い立ち、なぜ留学メンバーになったのか?、留学時代に何を学んだのか?、帰国後は何をやったのか?、が非常によく分かる本です。彼らが留学したのはUCL(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)。筆者は、歴史家・エッセイストでかつ、UCLの卒業生なのです。ですから、UCLがどういう大学なのか?長州ファイブを現地の関係者がどのように対応していたのか?もよく理解できます。
プロローグ
1章 洋学を求め、南へ北へ
2章 メンバー、確定!
3章 さらば、攘夷
4章 「ナビゲーション!」で、とんだ苦労
5章 UCLとはロンドン大学
6章 スタートした留学の日々
7章 散々な長州藩
8章 ロンドンの、一足早い薩長同盟
9章 「鉄道の父」へ
エピローグ
①長州ファイブ(伊藤博文、井上馨、井上勝、山尾庸三、遠藤謹介)とは?
正直、大河ドラマ『西郷どん』を見るまでは、この5人のうち伊藤博文が初代内閣総理大臣だったことくらいしか知りませんでした・・・。最近では、伊藤博文は元々松下村塾の塾生だったことや、井上馨は渋沢栄一の上司で初代外務大臣だったこと、くらいまでは分かるようになってきました。
今回、この本を読んで、伊藤博文と井上馨についての理解が深まったのと、新たに、長州藩士3人の名前と功績を覚えることが出来ました。そして、5人がどのように貢献したのかcontributed to、日本の近代化にthe modernization of Japan。これをしっかりと理解することも出来ました。
伊藤博文(いとうひろぶみ)・・内閣の父
松下村塾の塾生、英国公使館焼き討ちに参加(高杉晋作が主導)、長州ファイブとして留学(当時22歳。約半年で帰国。四国艦隊下関砲撃事件での講和交渉で高杉晋作の通訳を務める)、岩倉使節団の全権副使(岩倉具視が全権大使で、木戸孝允・大久保利通と並ぶ全権副使。約2年欧米視察等)、初代総理大臣(総理大臣になったのは計4回)。
井上馨(いのうえかおる)・・外交の父
英国公使館焼き討ちに参加(高杉晋作が主導)、長州ファイブとして留学(当時28歳。約半年で帰国。四国艦隊下関砲撃事件での講和交渉で高杉晋作の通訳を務める)、渋沢栄一の大蔵省での上司(本書では特に触れられていません)、外務大臣(第一次伊藤内閣)、内務大臣(第二次伊藤内閣)、大蔵大臣(第三次伊藤内閣)。
井上勝(いのうえまさる)・・鉄道の父
長州ファイブとして留学(当時20歳。分析化学・鉱物学・地質学・数理物理学など鉄道に関する学問学ぶ。鉄道の現場も体験。長州ファイブで唯一UCL修了)、鉄道庁長官など(1871年の東京横浜間の鉄道開通の工事の時から約20年間鉄道事業のトップ)、小岩井農場創設者の一人。
↓井上勝の墓所(東京都品川区)
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山尾庸三(やまおようぞう)・・工学の父
英国公使館焼き討ちに参加(高杉晋作が主導)、長州ファイブとして留学(当時26歳。途中で造船を学ぶためにグラスゴーに。)、工部省の設置推進、工部省のトップ、工学校(東大工学部の前身)の設立主導、盲聾啞学校設立など障害者教育のパイオニア。
遠藤謹介(えんどうきんすけ)・・造幣の父
長州ファイブとして留学(当時27歳、約1年半後に帰国)、造幣局長、大阪造幣局の桜の通り抜けを開始。
伊藤博文と井上馨が内閣にいたおかげで、井上勝は鉄道事業を、山尾庸三も遠藤謹介もそれぞれの実務を推進でき、一方で3人の実務家がいたから伊藤博文と井上馨は政策を実行できた、というお互いに見事な補完関係にありました。
↓松下村塾、四国艦隊下関砲撃事件での高杉晋作通訳についてはこちらから。
insearchofjapan.hatenablog.com
↓英国公使館焼き討ち事件についてはこちらから。
insearchofjapan.hatenablog.com
<参考>
↓コトバンク。井上勝とは。
↓コトバンク。山尾庸三とは。
↓コトバンク。遠藤謹介とは。
↓英国日本大使館HP。長州ファイブ渡英150周年記念イベント(2013年)。
↓UCLのHP。長州ファイブ150周年(2013年)。
②幕末・明治の有名人の海外渡航経験
本書の中には、幕末の主な海外渡航と、それに参加していた主な人物を記載している箇所がありました。そこを読んで、海外渡航がそれらの人々に大きな影響を与えたこと、また、それらの人々が明治維新に大きな影響を与えたということを再認識しました。
特に驚いたのは福沢諭吉。幕臣でもないのに幕府の使節団で米国にも欧州にも行っていたことに驚きです!
<幕末から明治初期の海外渡航機会(主な参加者)>
1863年:長州藩による英国留学生(密航)派遣(伊藤博文、井上馨など)
1865年:薩摩藩による英国(密航)使節団(五代友厚、森有礼など)
1867年:幕府によるパリ万博派遣(渋沢栄一など。本書では特段言及なし)
1871年~1873年:明治新政府による欧米視察/岩倉使節団(岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文など)
<参考>
↓薩摩藩英国留学生記念館HP。
③アーネスト・サトウとは?
この本ではアーネスト・サトウに関する記載もありました。幕末史に必ず登場する著名外国人の一人です。UCLの卒業生でもあったそう!
UCLで日本に関する書物(ペリーの著作も含む)を読んで日本に行きたいと思っていたサトウ(佐藤Satoではなく、Satow)は、日本での通訳者に志願してトップ合格。
1862年に来日し、以後1900年に日本を去るまで約25年日本に滞在。最初は通訳者でしたが、外交官diplomatとなり、最終的には英国公使British Ministerに。
日本に来てすぐ集中的に日本語を学んで日本語堪能となった彼は、通訳者として欠かせない存在に。結果、幕末オールスターのほとんどと面識があったようです(徳川慶喜、勝海舟、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、井上馨に加え、山内容堂、後藤象二郎、明治天皇など)。
また、滞在中に訪れたところも、「鹿児島、下関、大坂、兵庫、京都、奈良、吉野、熊野、高野山、伊予宇和島、長崎、土佐、北海道、新潟、佐渡、能登、日光、軽井沢、妙義山、日光中禅寺湖、伊香保、立山、飛騨、長野、甲府、富士山、箱根、鎌倉、小田原等々(本文抜粋)」。植物学者でもあり、書物も出しているそうです!!
少しボリュームはありますが、次はこの本を読んでみたいと思いました。
3.コメントと参考英語動画
本を読むときは、あとで要点だけを素早く見返せるように黄色の蛍光ペンでマーカーするのですが、この本も黄色のページがないくらい多くの知りたい情報、興味深い情報が満載でした!
↓「井上勝像」(JR「東京」駅丸の内口)。「鉄道の父」にふさわしい場所ですね。
↓長州ファイブが留学していたUCL: Univesrsity College Londonのチャネル。長州ファイブの概略が分かります。
↓映画『長州ファイブ』(2006年)。この映画では松田龍平さんが主役の山尾庸三を演じています。松田龍平さんの演技も良いですし、山尾庸三が主役になっている意味もいろいろと感じさせられます。
4.全国通訳案内士試験問題:長州ファイブ関連1問
歴史2019-16:明治、東京、山口、人物
2019年(令和元年)の全国通訳案内士筆記試験「日本歴史(問題番号16)」で、「初代内閣総理大臣で、憲法制定調査のためヨーロッパに留学の経験もある長州藩出身の政治家が伊藤博文であること」の理解を問う問題がでていました。
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