世界遺産「日光山輪王寺大猷院」について、そこに墓所のある徳川川家光が主に何をした将軍なのかも一緒に学んでいきます。
1.きっかけ・情報源
昨日学んだ日光東照宮を今のような豪華絢爛なものにしたのは徳川家康の孫である徳川家光です。
その徳川家光が祀られているのが日光山輪王寺(にっこうさんりんのうじ)の大猷院(たいゆういん)。徳川家光が将軍在任中にしたことも一緒に学んでいきます。
↓日光東照宮についてはこちらから。
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↓日本の世界遺産はこちらから。
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今日の写真と地図
2.学んだこと
①日光山輪王寺とは?
大猷院は日光山輪王寺(りんのうじ)というお寺の境内にあります。
世界遺産「日光の社寺」の構成資産として知られる日光東照宮、輪王寺(りんのうじ)、二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)は、明治時代になってからの神仏分離Separation of Buddhism and Shintoismにより、分けられたもの。
もともとこの地は、男体山を中心とした「日光山」という一つの霊場sacred siteだったそうです。そしてこの霊場を奈良時代の766年に開いたのが勝道(勝道上人)という修行僧(僧侶Buddhist monk)。
日光山の大本堂が三仏堂。東日本で一番大きな木造建築物だとか。現在の建物は徳川家光公が建てたそうです。
↓勝道上人(しょうどうしょうにんぞう)像。
↓日光山 総本堂 三仏堂。
<参考>
↓日光山輪王寺HP。
↓日光山輪王寺のHP。寺院を巡る。
②大猷院とは?:徳川家光の霊廟
大猷院とは、徳川三代将軍の徳川家光の墓所(霊廟mausoleum)です。
父の二代将軍秀忠と母のお江は家光の弟の三男を将軍にと思っていたようです!?
しかし祖父の徳川家康の命で次男の家光が将軍に(長男は早くに死亡していた)。
家光の乳母はあの有名な春日局(かすがのつぼね)。
自らを将軍にしてくれた家康公のために、東照宮を今のような豪華絢爛な建物に改築したのが家光。
自らも同じ地に眠りたいとのことで死後大猷院に祀られたそう。
家康公よりも豪華にしてはならないという遺言だったようですが、十分に豪華です(東照宮ほど人がいないのでゆっくり見ることもできます)。
↓大猷院の入口
<参考>
↓日光山輪王寺HP。大猷院。
③大猷院の見どころ:仁王門・二天門・夜叉門・拝殿・皇嘉門
まず、立派な門が3つ「仁王門」「二天門」「夜叉門」。二天門は、日光の中で一番大きな門とのことです。大猷院の文字は第108代天皇の後水尾天皇によるもの。大猷院というのは家光公の戒名の最初の三文字。
その先に「拝殿」があります。拝殿・相の間・本殿と連なる建築様式が権現造(ごんげんづくり)。権現造は試験でも必須の知識です!
さらにその奥の「皇嘉門(こうかもん)」の先に家光公の霊廟があります(霊廟は非公開)。
・重要文化財「仁王門」
・重要文化財「二天門」
・重要文化財「夜叉門(やしゃもん)」
・国宝「拝殿・相の間・本殿」
・重要文化財「皇嘉門(こうかもん)」
<参考>
↓日光山輪王寺HP。大猷院。
3.コメント(徳川家光が将軍在任中にしたこと)
徳川家光公が将軍だったのは1623年から1651年。その間の主な出来事を最後に復習しておきます。
1624年:スペイン船の来航禁止
1634年:日光東照宮の大改築(1636年まで)
1635年:参勤交代制定(武家諸法度の改定)
1637年:島原の乱
1639年:ポルトガル船の来航禁止
1641年:オランダ商館を長崎出島に移す
4.全国通訳案内士試験問題:日光山輪王寺・大猷院関連2問
歴史2018-07:江戸、栃木、寺、人物
2018年(平成30年)の全国通訳案内士筆記試験「日本歴史(問題番号7)」で、「徳川家光の墓所がある日光の輪王寺の大猷院(たいゆういん)に関連して、徳川家光の将軍在位期間に行った出来事」に関する理解を問う問題が出ていました。
歴史2018-08:江戸、栃木、寺、人物
2018年(平成30年)の全国通訳案内士筆記試験「日本歴史(問題番号8)」で、「日光の輪王寺にある徳川家光を祀る大猷院」に関する理解を問う問題が出ていました。
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