日本を英語と一緒に学ぶブログ

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【岩倉使節団】とは?英語で何と?メンバーは?ルートは?

1971年(明治4年)12月に日本を出発した岩倉使節団。代表的な5人のメンバーは誰だったか、どういったルートだったのかを中心に学んでいきます。

 

1.きっかけ・情報源

 

幕末・維新・明治初期をしっかりと学ぼうと毎回見ているNHK大河ドラマ『青天を衝け』。

 

先週の第30回では「廃藩置県」のほかにもう一つ歴史の教科書で習う大きな出来事が取り上げられてました。それが「岩倉使節団」。

 

岩倉具視木戸孝允、そして大久保利通など明治新政府の重鎮が1年半以上海外に行っていたという大きな出来事です。

 

オリンピックのお陰で欧州の地理や都市の名前についても理解が深まったので、今だと岩倉使節団の訪問国もよく頭に入るかも知れません・・。

 

今回はこの岩倉使節団について、代表的なメンバーやそのルートを中心に学んでいきます。

 

使節団は米国と欧州12ヶ国を訪問。

insearchofjapan.hatenablog.com

 

今日の写真と地図

 

大久保利通哀悼碑」(東京都千代田区の清水谷公園)。大久保利通西郷隆盛と同じ薩摩藩(現鹿児島県)出身。英語で説明すると、「これは。です。追悼する。死を。大久保利通の。This is the monument to mourn the death of Okubo Toshimichi.」 

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 ↓地下鉄「麹町」駅が最寄駅。「赤坂見附」駅や「永田町」駅からも徒歩10分圏内です。

visit-chiyoda.tokyo

 

東京都内の名所についてはこちらから。

insearchofjapan.hatenablog.com

 

大久保利通哀悼碑」と大久保利通についてはこちらからも。

insearchofjapan.hatenablog.com

 

大久保利通のお墓はこちらです。

insearchofjapan.hatenablog.com

 

↓鹿児島県についてはこちらから。

insearchofjapan.hatenablog.com

 

2.学んだこと

 

岩倉使節団とは?英語で何と?

 

1871年明治4年)12月に明治新政府が海外に派遣した使節団。

 

不平等条約の改正や欧米の状況を視察することが目的でした。

 

同じ年1871年の7月に行われたのが廃藩置県これで国内の統治体制を固めることができたことが使節団派遣の契機になったようです。

 

岩倉使節団は英語ではIwakura MissionとかIwakura Embassyとかと訳されています。

 

embassyは個人的には大使館のイメージが強いので、Iwakura Missionの方を第一に覚えます。

 

<参考>

 

国立国会図書館HP

1-7 岩倉遣外使節団 | 史料にみる日本の近代

1-7 Iwakura Mission | Modern Japan in archives

 

国立公文書館HP

www.archives.go.jp

 

②メンバーは?-岩倉具視木戸孝允大久保利通伊藤博文山口尚芳

 

岩倉使節団の名前のとおり、代表は右大臣岩倉具視(右大臣)。特命全権大使

 

その他の主要メンバーは、参議木戸孝允(長州)、大蔵卿大久保利通(薩摩)、工部大輔伊藤博文(長州)、外務少輔山口尚芳ますか(肥前)。4人が特命全権副使。

 

当時の位の順では、太政大臣三条実美)→右大臣→参議→〇〇卿→大輔→少輔。〇〇卿は大臣で、大輔は次官、みたいな説明がよくされています。

 

この5人だけではなく、その他使節、理事官、留学生なども含めて総勢約150名。公文書館の資料に名前の記載があるのは158名!

 

なお、この岩倉使節団岩倉具視大久保利通木戸孝允らが抜けた政府(留守政府)の中心メンバーだったのが西郷隆盛でした。

 

<参考>

 

国立公文書館アジア歴史資料センターHP。使節団メンバー。

-明治150年 インターネット特別展- 岩倉使節団 ~海を越えた150人の軌跡~

 

国立公文書館アジア歴史資料センターHP。留守政府メンバー。

-明治150年 インターネット特別展- 岩倉使節団 ~海を越えた150人の軌跡~

 

国立公文書館アジア歴史資料センターHP。国の組織図。

-明治150年 インターネット特別展- 岩倉使節団 ~海を越えた150人の軌跡~

 

③訪問国とそのルートは?

 

国立公文書館のHPに使節団の旅程と滞在地についての記録があります。こちらを参考にスタートからゴールまでを辿っていくと・・・。大変な旅です。その国に最初に入った場所と日にち、その国を出た場所と日にちを中心に記載しています。

 

1871年12月23日:横浜

 

1.米国

1872年1月15日:米国サンフランシスコ

1872年2月4日:米国ソルトレーク

1872年2月26日:米国シカゴ

1872年2月29日:米国ワシントン

1872年6月10日:米国ニューヨーク

1872年8月6日:米国ボストンからアイルランド

 

2.アイルランド

1872年8月16日:アイルランド

 

3.英国

1872年8月17日:リヴァプールからロンドンへ

マンチェスターグラスゴーエジンバラバーミンガムなど

1872年12月26日:ロンドン

 

4.フランス

1872年12月26日:パリ

1873年2月17日:パリ

 

5.ベルギー

1873年2月17日:ブリュッセル

1873年2月24日:アントウェルペンアントワープ

 

6.オランダ

1873年2月24日:ハーグ

ロッテルダムアムステルダムなど

1873年3月7日:ハーグ

 

7.ドイツ

1873年3月7日:エッセン

ベルリン、ポツダム

1873年3月28日:ベルリン

 

8.ロシア

1873年3月30日:サントペテルブルグ

1873年4月14日:サントペテルブルグ

 

ハンブルク(ドイツ)経由

 

9.デンマーク

1873年4月18日:コペンハーゲン

1873年4月23日:コペンハーゲン

 

10.スウェーデン

1873年4月24日:ストックホルム

1873年4月30日:マルメ

 

11.イタリア

1873年5月9日:フィレンツェ

ローマ、ナポリヴェネツィア

1873年6月3日:トリエステ

 

12.オーストリア

1873年6月3日:ウィーン

1873年6月18日:ウィーン

 

ミュンヘン(ドイツ)経由

 

13.スイス

1873年6月19日:チューリッヒ

ベルン、ローザンヌなど

1873年7月15日:ジュネーヴ

 

リヨン(フランス)、ナポリ(イタリア)、スエズシンガポールサイゴン、香港、上海など

 

1873年9月6日:長崎

1873年9月13日:横浜

 

米国と欧州12ヶ国で計13ヶ国。

 

1871年12月23日に横浜を出港。戻ったのが1873年9月13日。あらためて凄い道程です。

 

たしか、ワシントンでの条約改正交渉でこれはダメだと判断(ワシントンの滞在日が長いです)。大久保利通伊藤博文はいったん帰国し経過報告(1872年3月20日、21日の両者が帰国のため出立との記録があります)。その後は条約改正交渉ではなく視察をメインにしたとか。

 

工場、会社、政府機関や軍施設の視察。史跡、公園、博物館、美術館、劇場、動物園などなど。夜は宴席や舞踏会。湯治という言葉も!

 

海外についての情報は限定的。初めての海外。当時のインフラ施設のギャップ。刺激も学ぶことも多かったのだと想像されます。

 

<参考>

 

国立公文書館アジア歴史資料センターHP。岩倉使節団の旅程と滞在地。

-明治150年 インターネット特別展- 岩倉使節団 ~海を越えた150人の軌跡~

 

国立公文書館アジア歴史資料センターHP。岩倉使節団の年表。こちらの方がより細かいです。

-明治150年 インターネット特別展- 岩倉使節団 ~海を越えた150人の軌跡~

 

3.コメントと参考英語動画

 

『青天を衝け』の前回第30回でも取り上げられていました、大久保利通とはそりの合わない渋沢栄一

 

上司だった井上馨(長州)からは、大久保利通岩倉使節団に参加してしばらくいなくなるから、もう少し政府に留まるように説得された、といった話もあったようです。

 

逆に伊藤博文はこの使節団で大久保利通の信任を得たとか。

 

↓米国ソルトレーク市のチャネル。岩倉使節団について。左から木戸孝允山口尚芳岩倉具視伊藤博文大久保利通

www.youtube.com

 

ソルトレークの大学での学生によるプレゼンテーションでしょうか。テーマは木戸孝允。こういう動画は日本のことを英語で説明しようとするときの英語表現や単語の使い方の参考になります。

www.youtube.com

 

4.全国通訳案内士試験問題:岩倉使節団関連

 

歴史2019-16:明治、東京、山口、人物

2019年(令和元年)の全国通訳案内士筆記試験「日本歴史(問題番号16)」で、「初代内閣総理大臣で、憲法制定調査のためヨーロッパに留学の経験もある長州藩出身の政治家が伊藤博文であること」の理解を問う問題がでていました。選択肢として岩倉具視も登場していました。

 

歴史2015-17:明治、東京、鹿児島、人物

2015年(平成27年)の全国通訳案内士筆記試験「歴史(問題番号17)」で、「1877年に開催された第1回内国勧業博覧会を積極的に主導した内務省の内務卿が薩摩出身の大久保利通であったこと」の理解を問う問題が出ていました。選択肢として木戸孝允も登場していました。 

 

www.jnto.go.jp

 

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