晩香蘆(ばんこうろ)に青淵文庫(せいえんぶんこ)。名前の由来と一緒に渋沢栄一の旧邸について学びます。
1.きっかけ・情報源
幕末・維新・明治をしっかりと学ぼうと毎回見ているNHK大河ドラマ『青天を衝け』。
先週(第35回)は、元米国大統領で南北戦争の英雄、グラント将軍の来日が取り上げられていました。1879年(明治12年)のこと。渋沢栄一40歳。
栄一の家に将軍を招くことになり、登場したのが出来たばかりの飛鳥山の別荘。のちに実際に渋沢栄一の住まいとなりました。
今日はこの渋沢栄一旧邸跡地の施設を学んでいくことにします。
今日の写真と地図
↓「渋沢栄一像と渋沢史料館」(東京都北区)。
↓最寄駅はJR京浜東北線「王子」駅、地下鉄南北線「王子」「西ヶ原」駅、都電荒川線「飛鳥山」駅。
2.学んだこと
①渋沢栄一の旧邸「暖依村荘」跡とは?
暖依村荘(あいいそんそう)。
渋沢栄一の旧邸跡地で、1879年(明治12年)にグラント将軍をもてなした地。当時は別荘。
現在は、今日の写真の「渋沢史料館」のほか、旧渋沢庭園内にある大正期の建物「晩香蘆」と「青淵文庫」があります。史料館のチケットで全ての施設を見ることができます。
<参考>
↓渋沢栄一記念財団HP。8月5日にグラント将軍を飛鳥山邸に招いたと。
↓さらに詳細な記録。相撲ではなく柔道!?グラント将軍の夫人が蚊に刺された!?
第25巻(DK250035k)本文|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団
↓渋沢栄一記念財団HP。施設概要。
②晩香蘆・青淵文庫とは?
晩香蘆は1917年(大正6年)築。栄一の喜寿(77歳)を祝って現在の清水建設から贈られたそうです。
サンダル(裸足)で訪れると部屋に上がれません・・・靴下が必要です。
青淵文庫は1925年(大正15年)築。栄一の傘寿(80歳)と男爵から子爵への昇格お祝いを兼ねて現在の渋沢栄一記念財団から贈られたそうです。
↓晩香蘆
↓青淵文庫
<参考>
↓渋沢栄一記念財団HP。晩香蘆・青淵文庫。
③ペンネームは英語で何と?
晩香蘆の晩香は渋沢栄一の父、渋沢市郎右衛門の号。号は昔の人が書道や絵を描くとき、俳句などに使っていた別称。雅号とか俳号。つまり、ペンネームですね。
ペンネームはそのままpen name。号という訳文でもpen nameが使われています。
ちなみに晩香蘆の由来には、漢詩とかバンガローとか諸説あるようです。
青淵文庫の青淵は渋沢栄一の号(ペンネーム)。栄一が18歳の時に尾高惇忠から付けてもらったようです。
↓中の家の裏手には渋沢市郎右衛門の碑(晩香の文字)があります。
insearchofjapan.hatenablog.com
<参考>
↓渋沢栄一記念財団HP。青淵の由来。
3.コメントと参考英語動画
最初に飛鳥山公園を訪れたのはたしか2015年。
そのときは桜で有名ぐらいしか知らず。
渋沢栄一史料館も晩香蘆も青淵文庫も全く関心がありませんでした・・・何の施設かも知りませんでした・・・。
興味の持ちようでこんなに色々と知りたくなるとは・・びっくりです!
↓外国人向けに日本各地の観光名所を紹介している「japan-guide.com」のチャネル。2:04~飛鳥山公園。
4.全国通訳案内士試験問題:渋沢栄一関連2問
歴史2019-15:明治、東京、埼玉、人物(渋沢栄一)
2019年(令和元年)の全国通訳案内士筆記試験「歴史(問題番号15)」で、「第一国立銀行の初代頭取を務め、・・・幅広い分野の企業創設、育成に携わった、現在の埼玉県出身の実業家は誰か」を問う問題が出ていました。
歴史2015-18:明治、東京、埼玉、人物(渋沢栄一)
2015年(平成27年)の全国通訳案内士筆記試験「歴史(問題番号18)」で、「渋沢栄一が経営に参画し支援した学校:商法講習所が、一橋大学の前身であること」の理解を問う問題が出ていました。
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