この本を読んで学んだこと:伊藤博文、井上馨、黒田清隆、大隈重信、福沢諭吉の関係について復習します。
1.きっかけ・情報源
幕末・維新・明治をしっかりと学ぼうと毎回見ているNHK大河ドラマ『青天を衝け』。
先々週(第36回)は、明治十四年の政変が取り上げられていました。1881年(明治14年)は渋沢栄一42歳。
正直、明治十四年の政変の存在自体、知りませんでした。習ったはず?ですが、全く記憶に残っていません・・・。大河ドラマのお陰で知識を増やすことができました!
今日は明治十四年の政変に係る5人の関係を学ぶことにします。
今日の本:『明治十四年の政変』
2.学んだこと
本の概要紹介
維新の三傑:西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通の話が序章。木戸孝允が病死したのが1877年(明治10年)、西南戦争で西郷隆盛が死んだのが同じく1877年(明治10年)、大久保利通が暗殺されたのが翌年1878年(明治11年)。その三傑がいなくなった明治11年からの話が第一章。明治十四年の政変にどのように繋がっていったのかが、そして、その政変後1888年(明治21年)辺りまでの話が記載されています。
プロローグ
序章 「最も肝要なる時間」-明治10年代という時代
第一章 三傑後の「政治」-明治11・12年
第二章 薩長の角逐-明治13年
第三章 第二世代の分裂-明治14年前半
第四章 政変-明治14年後半
第五章 それぞれの政変後-明治15年以降
終章 再・「最も肝要なる時間」-明治10年代という時代
①伊藤博文と井上馨と黒田清隆と大隈重信
薩長と大隈重信の出身だった肥前藩とは大きな差があったようです。
というか、三傑が健在のときから大隈重信は確か参議でしたから凄いと思いました。
②福沢諭吉と大隈重信と伊藤博文
元々明治維新は、徳川幕府の限定的な関係者による政策決定ではなく、幅広く議論を行うべきという大義もあり。
そのためには議会やその前提となる憲法が必要、と政府も考えていました。また、条約改正を果たすためにも、議会政治を定着させ近代国家だと、西洋諸国に認めてもらう必要もあり。でも、スムーズな実施には時間を要すると。
一方、すぐに議会を開設すべき、というのが自由民権運動。そしてこの運動を思想的にサポートしていたのが福沢諭吉。
明治十四年になり、大隈重信が議会の力が強いイギリス式の議員内閣制を参考とする議会開設の意見書を提出。内容よりも、議会開設時期が明治十六年と早かったことが問題となった模様。自由民権運動と結託して薩長政府を転覆させようとしているのではないか、との疑念をもたれたようです。一番それを警戒していたのが伊藤博文。
③黒田清隆と大隈重信と伊藤博文
黒田清隆は北海道開拓の責任者。
ただ思うように開拓が進まず、政府はこの事業を民間に託そうとしたようです。
ここで、黒田清隆と同じ薩摩藩出身の五代友厚に格安でその事業を売り渡そうとしてうるのではないか、という疑惑が取り上げられ問題に。これが「開拓使官有物払下げ事件」。
この件で大隈重信はこの払下げに反対しているようにみられ、そして、薩長閥でないということが反政府の人々から英雄視され、逆に、政府内からはさらに警戒されることに。
議会開設の意見書が急進的すぎたこと、官有物払下げに反対したこと、で政府(中心は伊藤博文)から警戒され、大隈重信追放に(実際には自ら職を辞するように促され、それに従ったとのことです)。
政府は官有物払下げは中止。同時に十年後に議会開設することを約束。
この一連の出来事が明治十四年の政変。
3.コメントと参考英語動画
政府 vs 自由民権運動 & 新聞社でしょうか。
伊藤博文・井上馨・黒田清隆・大隈重信 vs 自由民権運動 & 新聞社だったはずが、伊藤博文・井上馨・黒田清隆 vs 大隈重信・自由民権運動・新聞社みたいになったイメージです。
そして、自由民権運動や新聞社に思想面で大きな影響を与えていたのが福沢諭吉。
こんな構図で明治十四年の政変を理解してみました。
↓慶応義塾大学の公式チャネル。The political thought of Yukichi Fukuzawa福沢諭吉の政治思想。
insearchofjapan.hatenablog.com
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4.全国通訳案内士試験問題:伊藤博文・福沢諭吉・大隈重信関連3問
歴史2019-16:明治、東京、山口、人物
2019年(令和元年)の全国通訳案内士筆記試験「日本歴史(問題番号16)」で、「初代内閣総理大臣で、憲法制定調査のためヨーロッパに留学の経験もある長州藩出身の政治家が伊藤博文であること」の理解を問う問題がでていました。
歴史2018-40: 江戸、明治、人物
2018年(平成30年)の全国通訳案内士筆記試験「日本歴史(問題番号40)」で、「幕府の文久遣欧使節の一員、豊前中津藩士、長崎・大阪で蘭学を学び、『学問のすすめ』や『西洋事情』を書いた人物が福沢諭吉であること」の理解が必要な問題で、選択肢として大隈重信が登場していました。
歴史2015-17:明治、東京、鹿児島、人物
2015年(平成27年)の全国通訳案内士筆記試験「歴史(問題番号17)」で、「1877年に開催された第1回内国勧業博覧会を積極的に主導した内務省の内務卿が薩摩出身の大久保利通であったこと」の理解を問う問題で、選択肢として大隈重信が登場していました。
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