1858年の日米修好通商条約Harris Treaty。この条約で開港となった5つの港を中華街3つとその他2つに分けて学んでいきます。
1.きっかけ・情報源
幕末・維新・明治初期をしっかりと学ぼうと毎回見ているNHK大河ドラマ『青天を衝け』。
4回目の日米和親条約に続き、昨日の8回目で登場した「日米修好通商条約」を取り上げます。
今日の写真と地図
↓横浜中華街最大の門:朝陽門ちょうようもん(青龍門)。風水の思想に基づいて各門は建てられているそうです。
↑↓C4にある門です。
↓横浜中華街発展会のHP。門について。
2.学んだこと
①日米修好通商条約とは?日米修好通商条約は英語で何と?
1854年の日米和親条約The Treaty of Peace and Amity between Japan and the U.S.はいわば仲良くするための条約。
神奈川で締結されたのでKanagawa Treatyとも。
開港した下田と箱館(函館)は立ち寄り・補給が出来るものでした。
1858年の日米修好通商条約The Treaty of Amity and Commerce between Japan and the U.S.は貿易ルールを定めた条約。
貿易を行うために、5つの港(函館、新潟、神奈川、神戸、長崎)が開かれることになりました。
米国総領事のハリスが交渉・調印したことからHarris Treatyとも呼ばれているようです。
<参考>
↓在NY日本国総領事館HP。日本と米国の関係歴史。
②3つの港と中華街との関係は?
この条約で開港することとなった5つのうち、3つは横浜、神戸、長崎。
日本の三大中華街があるところです。
横浜、神戸は、貿易を行う欧米人の日本人とのコミュニケーションを助けるために、漢字で筆談の出来た華僑がたくさん住むようになったことが中華街発祥のきっかけのよう。
ちなみに長崎では、鎖国の間も中国との貿易は続いていたことから、もともと多くの華僑が住んでいたとのこと。
<参考>
↓横浜中華街発展会のHP。横浜中華街の歴史。
↓横浜中華街の名店の一つ「萬珍樓(まんちんろう)」。
↓最寄駅はみなとみらい線「元町・中華街」駅。徒歩約5~7分です。
↓萬珍樓のHP。歴史について。
③あとの2つの港は?
一つは、日米和親条約で(補給地として)開港されていた函館。もう一つは新潟でした。他の4ヶ所と比べて新潟港の存在感が薄いのは戊辰戦争の影響などで開港が遅くなったことも原因のようです。
↓長崎港の歴史の長さは他と違いますね。日米修好通商条約により開港されたのは1859年のようです。
↓横浜が開港されたのは1859年。
↓函館も貿易港として開港したのは1859年。
↓神戸が開港されたのは1868年。
↓新潟港が開港されたのは1869年!
3.コメントと参考英語動画
日米修好通商条約と中華街に繋がりがあることを初めて認識しました。中華街に行ったときにはまた違った視点で楽しむことが出来そうです。
↓再生回数は少ないですが、英語で学ぶには十分です。The Harris Treaty日米修好通商条約。
4.全国通訳案内士試験問題
2018年(平成30年)の全国通訳案内士筆記試験「歴史(問題番号16)」で、「日米修好通商条約と横浜の開港年度や中華街関帝廟」についての理解を問う問題が出ていました。
↓これが関帝廟(横浜中華街)。三国志の関羽を祀っているそうです。
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