日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は社会福祉事業の先駆者でもありました。東京都健康長寿医療センターと一緒に学んでいきます。
1.きっかけ・情報源
幕末・維新・明治初期をしっかりと学ぼうと毎回見ているNHK大河ドラマ『青天を衝け』。
今日11月11日は渋沢栄一の没後90年に当たる日。
今日は、先週(第34回)取り上げられていた、渋沢栄一が亡くなるまで院長を務めていたという東京養育院(現東京都健康長寿医療センター)について学んでいきます。
今日の写真と地図
↓「渋沢栄一像」(東京都板橋区の東京都健康長寿医療センター敷地内)。
↓最寄駅は東武東上線「大山駅」、地下鉄三田線「板橋区役所前駅」。
2.学んだこと
①東京市養育院とは?
明治維新の混乱による生活困窮者や身寄りのない子供を収容していた東京の施設。
1872年(明治5年)に設立。
渋沢栄一は1874年(明治7年)から運営に関与。1876年(明治9年)に養育院事務長、1890年(明治23年)に東京市営になり初代院長に。以後、1931年に91才で亡くなるまで院長を務めていました。
<参考>
↓コトバンク。東京都養育院とは。
↓東京都健康長寿医療センターHP。
②社会事業は英語で何と?
社会事業はsocial activities。社会福祉事業はsocial welfare services。また、慈善事業はcharity activities。教育事業はeducational activities。
渋沢栄一はそういった事業の先駆者pioneerと言われています。
③東京都健康長寿医療センターとは?
東京市養育院がその前身。
現在は、病院と高齢者の健康増進等に係る研究所が一体となった施設。
↓独立地方行政法人東京都健康長寿医療センター。すごく立派な施設です。この右手に渋沢栄一像があります。
<参考>
↓東京都健康長寿医療センターHP。
3.コメント
渋沢栄一が関わった営利事業(設立に関わった会社)の数は約500件。日本資本主義の父と呼ばれる所以です。その代表格が第一国立銀行。
一方、社会事業や教育事業などの非営利事業の数は約600件。今回取り上げた養育院がその代表的なもの。
渋沢栄一のお陰で歴史も地理も多くのことが学べます。東京都健康長寿医療センターの近くには、旧中山道の宿場町で有名な板橋宿やアーケードのハッピーロード大山商店街もあります。
4.全国通訳案内士試験問題:渋沢栄一関連2問
歴史2019-15:明治、東京、埼玉、人物(渋沢栄一)
2019年(令和元年)の全国通訳案内士筆記試験「歴史(問題番号15)」で、「第一国立銀行の初代頭取を務め、・・・幅広い分野の企業創設、育成に携わった、現在の埼玉県出身の実業家は誰か」を問う問題が出ていました。
歴史2015-18:明治、東京、埼玉、人物(渋沢栄一)
2015年(平成27年)の全国通訳案内士筆記試験「歴史(問題番号18)」で、「渋沢栄一が経営に参画し支援した学校:商法講習所が、一橋大学の前身であること」の理解を問う問題が出ていました。
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