NHK大河ドラマ『青天を衝け』で登場した1867年のパリ万博1867 Paris World Exposition。日本や世界に影響を与えた偉人二人との関係を学びます。
1.きっかけ・情報源
幕末・維新・明治初期をしっかりと学ぼうと毎回見ているNHK大河ドラマ『青天を衝け』。
昨日の第22回から、楽しみにしていたパリ(パリ万博)編がスタートしました。
渋沢栄一はもちろん、このパリ万博がきっかけでその名が欧州で広まったという葛飾北斎についても学んでいきます。
今日の写真と地図
↓「リサとガスパール」はフランスの絵本シリーズ。松屋銀座にて(東京都中央区)。
↓松屋銀座。最寄駅は地下鉄「銀座」駅。
2.学んだこと
①万博とは?英語で何と?
万国博覧会の略。各国の製品、文化、科学技術などを紹介して交流を図る場。
1851年のロンドンで開催されたのが最初の万博。現在の万博は、1928年に締結された国際博覧会条約に基づくもの。
万博はWorld Expo / World Exposition。その他、World's FairとかInternational Exhibitionとかも使われているようです。
<参考>
②パリ万博と渋沢栄一との関係は?
日本が最初に参加したのが1867年にパリで開催された万博。幕府だけでなく、薩摩藩・佐賀藩も参加していました。
幕府からは徳川慶喜の弟、徳川昭武(あきたけ)が慶喜の代理(名代)として参加。慶喜からの直々の命によりお供で一緒にパリに行ったのが渋沢栄一。
<参考>
↓国立国会図書館HP。1867年第2回パリ万博。
③パリ万博と葛飾北斎との関係は?
1867年のパリ万博では日本から様々な品が展示。磁器や工芸品と並んで葛飾北斎などの浮世絵も紹介されたそうです。
これがフランスでのジャポニズム(日本美術に関する関心)ブームとなり、フランス印象派の画家ゴッホ、マネ、モネなどに影響を与えました。
↓葛飾北斎についてはこちらからも。
insearchofjapan.hatenablog.com
<参考>
↓産経新聞HP。
↓This is MediaのHP。
3.コメントと参考英語動画
渋沢栄一がパリ万博に行っていなければ、今の日本は違うものになっていたかもしれません。また、葛飾北斎が世界的な名声を得ることもなかったかも知れません。
そもそも徳川慶喜が将軍でなければ渋沢栄一がパリに行くこともなかったでしょう。
あらためて色々な奇跡的がな出会いがあって現在が作られていることを認識できます。歴史は面白いものです。
↓大河ドラマ『青天を衝け』HP。
↓パリでしたい10のこと(英語字幕あります)。4:45~6番目に凱旋門(英語ではArch of Triumph)。吉沢亮さん演じる渋沢栄一が上っていたところです。
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