日本を英語と一緒に学ぶブログ

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日本に住んだ最初の英国人【ウィリアム・アダムス(三浦按針)】とは?

幕臣・旗本・外交ブレーンとして徳川家康に仕えたイギリス人ウィリアム・アダムス。何者なのか?なぜ日本に来たのか?日本で何をしたのか?を学んでいきます。

 

1.きっかけ・情報源

 

この約1ヶ月でウィリアム・アダムス(三浦按針)の名前を4回も見聞きしました。

 

最初はTBSテレビの『世界ふしぎ発見!』で『青い目のサムライ』。2回目と3回目はとちらも日経新聞の記事で『家康のブレーン、副業でビジネス』『神奈川で「大河ドラマ」誘致合戦』。4回目は先週日曜日の大河ドラマ『青天を衝く』。北大路欣也さん演じる徳川家康の冒頭の語りで登場しました。

 

以前、取り上げたルイス・フロイスしかり、昔の日本を見た外国人の記録にはとても興味をそそられます。

 

今日は、ウィリアム・アダムスを取り上げました。

 

世界ふしぎ発見!「青い目のサムライ」

www.tbs.co.jp

 

↓「ルイス・フロイス」の記事。動画で話をしているのは、『ウィリアム・アダムス』の著者ですね!

insearchofjapan.hatenablog.com

 

今日の本:『ウィリアム・アダムス』(フレデリック・クレインス著)

 


ウィリアム・アダムス ――家康に愛された男・三浦按針 (ちくま新書)

 

2.学んだこと

 

本の内容紹介

 

第1章:十六世紀イギリスのアダムス

第2章:リーフデ号の悲惨な旅とアダムス

第3章:イエズス会とアダムス

第4章:オランダ東インド会社とアダムス

第5章:イギリス東インド会社とアダムス

第6章:江戸の国際摩擦とアダムス

 

1章と2章は日本にたどり着くまでです。各章とも面白くて一気に読めます。 

 

①ウィリアム・アダムス(三浦按針)とは?

 

1564年イギリス生まれ。

 

1600年にオランダ船リーフデ号の舵手(だしゅ)として来日(実際は豊後、今の大分県に漂着)。

 

徳川家康に気に入られて、三浦按針(三浦の舵手という意味)という日本名をもらい、幕臣(旗本)に。日本橋に屋敷をもらうと同時に、三浦半島の逸見(今の横須賀市)に領土も受領。

 

家康の外交顧問として、オランダ、イギリス、スペイン、ポルトガルとの対応に関与。

 

1620年に平戸で亡くなったそうです。

 

↓「三浦按針屋敷跡」(東京都中央区)。"The First Englishman to Settle in Japan"とあります。

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↓屋敷跡の通りの名前は「按針通り」!

insearchofjapan.hatenablog.com

 

東京都内の名所はこちらから。

insearchofjapan.hatenablog.com

 

②なぜ日本に?

 

『ウィリアム・アダムス』によれば、リーフデ号の元々の出航の目的は、大西洋からマゼラン海峡を経て太平洋へ。南アメリカ沿岸でスペインの拠点や船から財宝を略奪。その財宝をアジアで貿易して国へ戻る、といったものだったようです。

 

でも財宝略奪計画は上手くいかず、悪天候や戦闘で当初5隻だった船団は、日本に着く時には1隻に。その1隻がリーフデ号。約500人いた船員でまともに歩ける人は5人だけだったらしいです。

 

家康との謁見に臨んだ時にアダムスが選んだのが、オランダ人のヤン・ヨーステンだったと。名家の出身でオランダの状況や商売にも長けていたことが理由だったそう。

 

ヤン・ヨーステンについてはこちらから。

insearchofjapan.hatenablog.com

 

③日本で何をした?

 

『ウィリアム・アダムス』によれば、アダムスはオランダの東インド会社のためにも、イギリスの東インド会社のためにも、家康との間に入って日本と貿易ができるように便宜を図っていたようです(結局、オランダが先に日本での基盤をつくっていたため、イギリスは撤退)。

 

また、イエズス会による布教活動と一体となったスペイン人やポルトガル人による南米やフィリピンの征服・植民地化の情報も家康に提供していたようです。結果、貿易が目的で、宗教普及や領土的野心のないオランダだけが残ることに。

 

彼が来ていなければ、その後の鎖国やオランダとの関係も変わったものになっていたかも知れません。

 

<当時の主な世界情勢>

カトリック:スペイン&ポルトガル vs プロテスタント:オランダ&イギリス

1580年 スペインがポルトガルを併合

1581年 オランダがスペインから独立宣言(1568~1648年オランダ独立戦争

1588年 イギリスがスペインの無敵艦隊を破る

1600年 イギリスが東インド会社をつくる

1602年 オランダが東インド会社をつくる

1619年 オランダがジャワ(インドネシア)に進出

 

3.コメントと参考英語動画

 

異国から来た人が当時の日本をどう見たのかは非常に興味をそそられるところです。ペリーやイザベラ・バードの著書も読んでみようと思います。

 

↓ウィリアム・アダムスについての動画(英語字幕あり)。絵が気になりはしますが・・ストーリーは概ね『ウィリアム・アダムス』のとおりです。2:03~本編(それまでCM)。~5:53日本にたどり着くまで。大変な旅です。5:53~日本での活動から亡くなるまで。最後にあるアダムスがいなければ・・という仮定の話も興味深いです。


William Adams: Story of the English Samurai in Japan

 

↓ウィリアム・アダムス倶楽部というのがあるそうです。


New Look at the Life and Death of William Adams

 

4.全国通訳案内士試験問題:ウィリアム・アダムス関連

 

歴史2021-14:江戸時代、東京都、人物

2021年(令和3年)の全国通訳案内士筆記試験「日本歴史(問題番号14)」で、「1600年(慶長5年)に豊後に漂着したオランダ船リーフデ号の乗組員で徳川家康により江戸に招かれ外交・貿易の顧問となったのがウィリアム・アダムスであること」の理解を問う問題が出ていました。同じくリーフデ号の乗組員でオランダ人ヤン・ヨーステンも家康の外交・顧問に。ヤン・ヨーステンは朱印状を与えられ、貿易でも活躍。住んでいた場所はその名前から八重洲河岸と呼ばれるように。これが今の東京駅東側の八重洲(やえす)。

 

www.jnto.go.jp

 

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