1600年に豊後に漂流したオランダ船リーフデ号の乗組員ヤン・ヨーステン。八重洲の名前の由来と八重洲周辺の名所を学んでいきます。
1.きっかけ・情報源
今日はホワイトデー。
ケーキ売場は男性でごった返していました。
1年前のホワイトデーの記事を見返すと今日の写真で使っていたのは八重洲地下街のヤン・ヨーステン。
そこで今日は「ヤン・ヨーステン」と八重洲など東京駅周辺にあるヤン・ヨーステン関連の名所について学んでいきます。
↓ホワイトデーの記事。ヤン・ヨーステンは八重洲地下街のキャラクター。
insearchofjapan.hatenablog.com
今日の写真と地図:丸ビル横にあるヤン・ヨーステンの名所
↓丸ビル(東京都千代田区)の南側にあるリーフデ号の彫刻。
↓オランダの入場順は39番目でした。
insearchofjapan.hatenablog.com
↓東京都内の名所はこちらから。
insearchofjapan.hatenablog.com
2.学んだこと
①ヤン・ヨーステンとは?
1600年にオランダ船リーフデ号の乗組員として豊後に漂着(今の大分県に漂着)したオランダ人。
徳川家康に気に入られて、同じ乗組員の英国人ウィリアム・アダムスとともに外交・貿易の顧問に。朱印状を与えられて貿易でも活躍。
家康に与えられた屋敷の場所はヤン・ヨーステンが訛って八重洲河岸と呼ばれ、これが今の八重洲(東京駅の東側エリア)になりました。
↓ウィリアム・アダムスについて。なぜリーフデ号が日本に来たのかはこちらで説明しています。
insearchofjapan.hatenablog.com
<参考>
↓国立国会図書館HP
②八重洲地下街(ヤエチカ)にあるヤン・ヨーステンの名所
八重洲地下街は東京駅の東側地下に広がる大商店街です。
通称ヤエチカです。
・ヤン・ヨーステン記念像
ヤエチカには、ヤン・ヨーステン記念像があります。
その隣には、リーフデ号の航路やヤン・ヨーステンについての説明も。
八重洲地下街では至る所で、ヤン・ヨーステンを見ることができます。
insearchofjapan.hatenablog.com
<参考>
↓八重洲地下街HP
③八重洲通りにあるヤン・ヨーステンの名所
・ヤン・ヨーステン記念碑
正面が東京駅八重洲口です。
東京駅八重洲口
<参考>
ヤン・ヨーステン記念碑と平和の鐘 - 中央区観光協会特派員ブログ
3.コメントと参考英語動画
今回学んだのは
・リーフデ号が来たのは1600年(慶長5年)
・漂着したのは豊後(現在の大分県)
・有名な乗組員は英国人ウィリアム・アダムスとオランダ人ヤン・ヨーステン
・二人とも徳川家康の外交・貿易顧問に。
・ヤン・ヨーステンは朱印状を与えられ貿易でも活躍。
・ヤン・ヨーステンの屋敷の地は八重洲河岸と呼ばれ、現在の八重洲の地名に。
1年越しでヤン・ヨーステンについて書くことができました。
このヤン・ヨーステンのほかにも、庶民的な?飲食店やゴンチャもあって結構落ち着ける場所です。八重洲地下街。
地上に上がれば、大型の再開発が進んでいて今後八重洲口の景色は随分と変わりそうです。
↓オランダ日本大使館のユーチューブチャネル。最近のアップデートですね。オランダ語ですが英語字幕がついています。ヤン・ヨーステンと八重洲の関係の説明があります。今回取り上げた名所も全て映っています!
4.全国通訳案内士試験問題:ヤン・ヨーステン関連
歴史2021-14:江戸時代、東京都、人物
2021年(令和3年)の全国通訳案内士筆記試験「日本歴史(問題番号14)」で、「1600年(慶長5年)に豊後に漂着したオランダ船リーフデ号の乗組員で徳川家康により江戸に招かれ外交・貿易の顧問となったのがウィリアム・アダムスであること」の理解を問う問題が出ていました。同じくリーフデ号の乗組員でオランダ人ヤン・ヨーステンも家康の外交・顧問に。ヤン・ヨーステンは朱印状を与えられ、貿易でも活躍。住んでいた場所はその名前から八重洲河岸と呼ばれるように。これが今の東京駅東側の八重洲(やえす)。
↓口述試験対策はこちらから。ヤン・ヨーステンと八重洲については東京駅近辺の観光名所などのネタとして使えそうです。
insearchofjapan.hatenablog.com
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