1909年の渡米実業団の概要のほか、関連する名所や歴史について学んでいきます。
1.きっかけ・情報源
幕末・維新・明治をしっかりと学ぼうと毎回見ているNHK大河ドラマ『青天を衝け』。
先週(第40回)では、1909年(明治42年)の渡米実業団の話が取り上げられていました。渋沢栄一70歳のときです。
渋沢栄一記念財団HPでは、1909年の詳細年譜に記載があるほか、渡米実業団の特集ページもあります。
また、この渡米実業団には大阪からのメンバーも参加していて、国の重要文化財になっている「大阪市中央公会堂」と関係が深いことも分かりました。
さらに、『青天を衝け』でも取り上げられていたとおり、渋沢栄一はこの渡米中に伊藤博文の訃報を聞いています。
今日は渡米実業団とそれに関連する歴史を学んでいきます。
↓渋沢栄一記念財団HP
今日の写真と地図
↓橋の正面が「大阪市中央公会堂」(大阪府大阪市)。左端のビルは大阪市役所。間は大阪府立中之島図書館。
2.学んだこと
①1909年の渡米実業団とは?
渋沢栄一が団長となり1909年9月から12月に全米の50都市以上を訪れた民間の渡米団。
渋沢栄一記念財団HPには渡米実業団という特集ページがあり、団員一覧(写真入り)や訪れた全米各地のマップ、行程、行き先などが掲載されています。驚くほどの豊富な史料です。
10月29日にフィラデルフィアで自由の鐘を見たとか、11月24日にグランドキャニオンを訪れたとか、各日に訪れた場所も分かります!
↓「自由の鐘Liberty Bell」(ペンシルバニア州フィラデルフィア)。
↓グランドキャニオン(アリゾナ州)
<参考>
↓渋沢栄一記念財団HP。
②渡米実業団と大阪市中央公会堂との関係は?
この渡米実業団の団員は51名。
東京だけでなく、大阪、名古屋、横浜など各地の実業界メンバーも参加していました。
大阪からメンバーに加わっていたのが岩本栄之助。
この岩本栄之助の寄付により建てられたのが「大阪市中央公会堂Osaka City Central Public Hall」。重要文化財important cultural propertyです。
米国で富豪が公共事業などに財産を投じていることに感化され、大阪に公共のホールを建てよう!となったそうです。その過程では渋沢栄一にも相談していたと。
渋沢栄一記念財団HPでは、1915年10月8日に建築現場を訪れ祝辞を述べた記載もありました。
↓岩本栄之助像。大阪市中央公会堂地下1階展示室。
<参考>
↓渋沢栄一記念財団HP。
↓大阪市中央公会堂HP。公会堂の歴史と概要。
↓渋沢栄一記念財団HP。1915年の記録。
③渡米実業団と伊藤博文との関係は?
今回『青天を衝け』の冒頭で取り上げられていました。
伊藤博文がハルビン駅(現在の中国黒竜江省ハルビン市)で暗殺された事件。当時の伊藤博文は枢密院議長でした。
渡米中の1909年10月26日に渋沢栄一はこの訃報を聞いています。
そして、翌年1910年に韓国併合。
ちなみに、渋沢栄一記念財団HPでは、6月30日に大磯に伊藤博文を訪ねたとあります。『青天を衝け』でも渡米前に伊藤博文大磯邸で面談していました。HPの記録では車を運転して行っていたようです!?しかも帰り道に老人を避けようとして横転。負傷したと。
↓渋沢栄一はパリでの経験。伊藤博文はこの英国での経験がその後の人生を大きく変えました。
insearchofjapan.hatenablog.com
↓岩倉使節団のメンバーでもありました。世界一周。
insearchofjapan.hatenablog.com
↓憲法調査でも欧州に!
insearchofjapan.hatenablog.com
<参考>
↓渋沢栄一記念財団による「渡米実業団」日録ブログ(はてなブログ)。
tobeijitsugyodan.hatenablog.com
↓渋沢栄一記念財団HP
④その他追加情報(渋沢栄一の渡米)
↓この記録によれば、渋沢栄一は、1904年、1909年、1915年、1921年の計4回、米国を訪れているようです。それぞれ、ルーズベルト大統領、タフト大統領、ウィルソン大統領、ハーディング大統領と会見しています。
3.コメントと参考英語動画
渋沢栄一はこの後、1914年には中国も訪れています。孫文と会ったのはその前年。
ノーベル平和賞候補にもなった渋沢栄一のように米国や中国を体感している人(特に政治家や軍人)がもっと多ければ、歴史も変わっていたかもしれません。
↓全38章のこの本。35章、36章の題目はまさに「海をこえて(上・下)」。渡米実業団など米国訪問や中国訪問などの話が記載されています。渡米実業団のときには車も1台買ってきたそうです!?
insearchofjapan.hatenablog.com
↓米国の鉄道網の歴史が短時間でよく分かる動画。西海岸で金が発見されたのが1848年。一攫千金目指して西を目指した多くの人がフォーティーナイナーズ、1849年。南北戦争は1861年~1865年。大陸を横断する鉄道が出来たのはその後の1869年。渋沢栄一が渡米した1909年頃はかなり鉄道網が充実していたころですね。
4.全国通訳案内士試験問題:渋沢栄一関連2問
歴史2019-15:明治、東京、埼玉、人物(渋沢栄一)
2019年(令和元年)の全国通訳案内士筆記試験「歴史(問題番号15)」で、「第一国立銀行の初代頭取を務め、・・・幅広い分野の企業創設、育成に携わった、現在の埼玉県出身の実業家は誰か」を問う問題が出ていました。
歴史2015-18:明治、東京、埼玉、人物(渋沢栄一)
2015年(平成27年)の全国通訳案内士筆記試験「歴史(問題番号18)」で、「渋沢栄一が経営に参画し支援した学校:商法講習所が、一橋大学の前身であること」の理解を問う問題が出ていました。
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